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最高裁判所第三小法廷 平成8年(オ)128号 判決

上告人

柳原和子

右訴訟代理人弁護士

斉藤誠

山本政明

佃俊彦

坂本福子

松井繁明

杉井静子

今野久子

堤浩一郎

被上告人

株式会社ケンウツド

右代表者代表取締役

岡誠

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人斉藤誠、同山本政明、同佃俊彦、同坂本福子、同松井繁明、同杉井静子、同今野久子、同堤浩一郎の上告理由及び上告人の上告理由について

一  所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認することができ、その過程に所論の違法があるとはいえない。右事実認定に係る論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

二  原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

1  被上告人は、音響機器、通信機器等の製造販売を目的とする資本金約一〇六億九四〇〇万円(平成五年八月三一日以降は約二二二億四〇〇〇万円)、従業員約二〇〇〇人を擁する株式会社である。

2  上告人は、昭和五〇年七月二一日、被告に雇用され、約七年間にわたり通信機器の製造業務等に携わった後、同六〇年一月一六日以降は、東京都目黒区青葉台所在の被上告人の技術開発本部技術開発部企画室(以下「企画室」という。)における庶務の仕事に従事していた。

3  被上告人は、東京都八王子市石川町所在の八王子事業所において、昭和六二年三月からカーオトディオ事業本部向けにHIC(ハイブリッド・アイ・シー)の生産を五人態勢で開始したところ、需要見通しが大幅に増加し人員を一〇人に増員する必要が生じ、同事業所内の異動により同年六月、八月、九月、一二月に各一人の増員を行ったが、残る一人については同事業所内では補充の見通しが立たなかった上、同年八月及び九月に異動した二人が同年末には退職する見通しとなったため、早急に右退職予定者の補充を行う必要が生じた。そこで、被上告人は、同事業所内技術開発本部開発第三部HIC開発プロジェクトチーム課長の希望に従い、即戦力となる製造現場経験者であり、かつ、目視の検査業務を行うことから年齢四〇歳未満の者という人選基準を設け、右二人のうち一人は困難ながらも同事業所内で補充を検討することとするが、残る一人は企画室を含む本社地区からの異動により補充することとし、対象となる約六〇人の女性従業員の中から右基準に該当する者を選定したところ、製造現場を約七年間経験し、年齢三四歳であった上告人がこれに該当した。そこで、被上告人は、同年一二月二四日、上告人を異動対象者に選定し、同六三年一月二七日、その上司である企画室長を通じて、上告人に対し、同年二月一日付けで右プロジェクトチームのHICの製造ライン勤務へ異動させる旨を内示し、右異動の命令(以下「本件異動命令」という。)を行った。上告人は、即日、被上告人の苦情処理委員会に苦情申立てをしたが、同委員会は、同月三日右申立てを棄却する旨の裁定を行った。

4  上告人は、本件異動命令に従わず、八王子事業所に出勤しなかった。被上告人は、事態の打開を図るため、上告人と勤務時間、保育問題等について話し合ってできる限りの配慮をしたいと考えていたが、上告人は、この話合いに積極的に応じようとせず、本件異動命令拒否の態度を貫き、被上告人の担当者に話合いの機会を与えないまま欠勤を続けた。

そこで、被上告人は、懲戒規定に基づいて、昭和六三年五月六日ころ到達の書面をもって、上告人を同年五月九日から同年六月八日まで一箇月の停職とし、さらに、右停職期間満了後も上告人が八王子事業所に出勤しなかったので、同年九月二一日ころ到達の書面をもって、上告人を懲戒解雇した。

5  被上告人の就業規則には、「会社は、業務上必要あるとき従業員に異動を命ずる。なお、異動には転勤を伴う場合がある。」との定めがあり、被上告人は、現に従業員の異動を行っている。上告人と被上告人の間の労働契約において就労場所を限定する旨の合意がされたとは認められない。

6  上告人は、本件異動命令発令当時、東京都品川区旗の台所在の借家を住居として、夫と長男(昭和五九年六月生)との三人家族で生活しており、企画室までの通勤時間は少なくとも約五〇分であった。夫は、東京都港区南麻布所在の外資系の通信機器等の輸入及び製造販売を目的とする会社に勤務し、通勤時間約四〇分を要していた。また、同人は残業や出張が多く、本件異動命令発令前一年間の出張は、延べ一九回、八七日間(うち海外が五九日間)に及んでいる。上告人夫妻は、平日は長男を保育園に預けていたところ、それぞれの出退勤の時刻と保育時間との関係上、長男の保育園までの送迎については、水曜日は上告人が送り、パート勤務の保母に月一万円で迎えと夕食を含む午後八時までの自宅保育を依頼し、その他の曜日は夫が送り、上告人のかつての同僚に月一万円で迎えと午後六時五〇分までの自宅保育を依頼していた。

7  上告人が本件異動命令発令当時の住居から八王子事業所に通勤するには、最短経路で、行きが約一時間四三分、帰りが約一時間四五分を要する。そのため、長男の水曜日における保育園への送り及びその他の曜日における午後六時五〇分から午後七時三五分ころまでの保育に支障が生ずる。なお、同事業所の従業員のうちには、通勤時間一時間三〇分から二時間二〇分以上を要する男性従業員が数十人、同一時間二〇分から二時間近くを要する女性従業員が約一〇人いる。

8  八王子事業所の近辺には、上告人が転居を希望すれば入居可能な相応の住居が多数存在し、居住地をJR中央線の八王子、豊田、日野、立川各駅近辺と定めた場合の夫の通勤時間は、乗車駅から約一時間である。また、八王子市内には、同事業所から徒歩一五分の範囲内に三つ、被上告人の送迎バスを利用して約二〇分の範囲内にもう一つ保育園があり、隣接する日野市内には、徒歩と路線バスを利用して約二〇分の範囲内に二つの保育園があるところ、うち二つについては定員に余裕がある。

9  企画室長が上告人を退職させるための嫌がらせないし報復人事の一環として本件異動命令を行ったとは認められない。

三  右事実関係等の下においては、被上告人は、個別的同意なしに上告人に対しいずれも東京都内に所在する企画室から八王子事業所への転勤を命じて労務の提供を求める権限を有するものというべきである。もっとも、転勤命令を濫用することが許されないことはいうまでもないところであるが、転勤命令は、業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても不当な動機・目的をもってされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、権利の濫用になるものではないというべきである(最高裁昭和五九年(オ)第一三一八号同六一年七月一四日第二小法廷判決・裁判集(民事)一四八号二八一頁参照)。本件の場合は、前記事実関係等によれば、被上告人の八王子事業所のHICプロジェクトチームにおいては昭和六二年末に退職予定の従業員の補充を早急に行う必要があり、本社地区の製造現場経験があり四〇歳未満の者という人選基準を設け、これに基づき同年内に上告人を選定した上本件異動命令が発令されたというのであるから、本件異動命令には業務上の必要性があり、これが不当な動機・目的をもってされたものとはいえない。また、これによって上告人が負うことになる不利益は、必ずしも小さくはないが、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまではいえない。したがって、他に特段の事情のうかがわれない本件においては、本件異動命令が権利の濫用に当たるとはいえないと解するのが相当である。

また、上告人が第二子を妊娠したのは、本件異動命令の後であるから、同命令の効力を左右しないことは、いうまでもない。

したがって、本件異動命令に従わなかったことを理由としてされた本件各懲戒処分には、所論の違法はないものというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、前記判決に抵触するものではない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って若しくは原判決を正解しないでその法令違背をいうか、又は原判決の結論に影響のない説示部分を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官元原利文の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官元原利文の補足意見は、次のとおりである。

私は、法廷意見の触れていない点について、補足的に考えを明らかにし、本判決の理解に資したいと考えるものである。

一  まず、所論は原審の事実認定を非難するが、法律審である当審は、原審の事実認定に経験則や採証法則に違反する違法が認められない限り、これを前提として法律上の問題について判断をすべきであることは、改めていうまでもないところである。この観点からすれば、原審の事実認定は、細部にわたってそのすべてを正当といえるか否かはともかくとして、右違法があるとまでは認められず、これを是認するほかはないというべきである。

そして、法廷意見の要約する原審の適法に確定した事実関係に基づく限り、上告人を本社から八王子事業所まで転勤させる権限が被上告人にあったということは否定し難いものというほかはない。

二  もっとも、原審の認定事実からは必ずしも明らかではないが、論旨による上告人の学歴と上告人と被上告人との間に雇用契約が締結された時期とを考えると、このような経歴の女性労働者については、特段の事情のない限り、明示的な合意をしないでも、広域での異動をしないことが黙示的に合意されているとみられるのであって、原審が就労場所を特定の勤務地に限定する合意がされたとは認められないとしているのも、東京都内において勤務場所を変更する異動が命じられたという本件事例を前提としたものと理解すべきであり、より広域の異動についても被上告人に転勤命令権があるとしたものではない。また、このような労働者の異動については、転勤命令権の濫用の有無についての判断においても、高学歴の営業担当者等の異動の場合と比較して、より慎重な配慮を要するというべきである。

三  次に、論旨は、本件異動命令が上告人に負わせる不利益の程度を検討するに当たって、本件異動命令が転居を伴わないものとして発令されたことを前提とすべきであるという。

異動先が遠いために必然的に転居せざるを得ない場合であれば、そのことを前提として、異動命令に伴う労働者の不利益の程度を判断すべきであることは、当然であろう。しかしながら、異動先が比較的近い場合には、労働者が転勤命令に対応して長距離通勤のみちを選ぶか転居のみちを選ぶか、また、転居の場合に家族と同居のみちを選ぶか別居のみちを選ぶかは、通常の場合、当該労働者ないしその家族の判断に懸かっているものであり、異動を命ずる使用者が決定する事柄ではない。したがって、転勤命令に伴う不利益が当該労働者において通常甘受すべき程度にとどまるか否かは、これらの選択肢のいずれかのみを前提に決するのではなく、異動命令当時における当該労働者の置かれた客観的状況にかんがみて現実的に選択可能なみちの中に通常甘受すべきものがあるのであれば、当該労働者がより不利益性の高いみちを選択しようとする場合であっても、それは当該労働者自身の選択の結果というべきであり、使用者のした転勤命令権の行使を権利の濫用とすることはできないものというほかはない。

本件においては、家族と共に東京都品川区に居住していた上告人が同目黒区の職場から同八王子市の職場への転勤を命じられたというのであり、必然的に転居せざるを得ない異動とはいえない。したがって、上告人及びその家族にとっては、転居しないで上告人が長距離通勤をするみち、家族全体が転居をして上告人の夫が長距離通勤をするみち、上告人が長男と共に転居して夫と別居するみちなどが選択肢としてあり得ることになり、そのいずれを選択するかは上告人ないしその家族の決定に任されているのであって、被上告人が上告人に転居をしないで異動するように命じられたものでないことは、いうまでもない。そうすると、これらのみちのいずれかによるならば上告人の受ける不利益を考慮しても転勤命令権の行使が濫用にわたるとまでは断じ難いというのであれば、上告人ないしその家族がこれらのいずれのみちを現実に選択したのかにかかわりなく、本件異動命令を無効ということはできないものといわなければならない。

四  ところで、この上告人の負わされる不利益の程度に関する判断の過程において、原審は、上告人が長距離通勤のみちを選んだ場合においても、長男の二次保育に生ずる支障が解決可能であったと判示している。しかし、これは原審の認定事実を基にしても明確な裏付けを欠いた判断といわざるを得ず、直ちに是認し得るか疑問なしとしない。したがって、そのことを根拠に本件異動命令による不利益が上告人において通常甘受すべき程度にとどまると結論付けることは早計というべく、この点に関する論旨の指摘は、考慮に値するといわなければならない。

しかし、本件事実関係の下においては、上告人が転居のみちを選ぶことも客観的状況からみて十分にあり得る選択肢と考えられるところであって、そのみちを選ぶならば、上告人の従前の住居が借家であること、転居先も同じ東京都内であること、夫の通勤時間の延長も比較的短く抑えることが可能であること、転居先で長男の保育先を確保することはさほど困難であるとはいえないことなどを指摘することができる。したがって、上告人ないしその家族の負わされる不利益は、決して小さくないものの、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまではいえないと判断されるのである。

なお、現実には上告人の夫が転居のみちに賛成しなかったことがうかがわれるのであるが、既に述べたところによれば、同じ状況の下において、転勤命令が、夫の賛成を得られたならば有効となるが、これが得られなかったならば無効となるというように判断すべきものではないから、右事実関係の下において夫が転居のみちに賛成することは通常期待し難いとまではいうことができない以上、この事情は右の判断を左右しないものというほかはない。また、いうまでもないことであるが、本件異動命令の後に上告人が第二子を妊娠したことも、同命令の効力を左右せず、したがって、同命令に従わないことを理由とする懲戒処分の効力にも影響しないといわざるを得ない。

五  以上に述べたとおりであるから、本件事実関係の下においては、本件異動命令を違法と断ずることはできないといわざるを得ない。しかしながら、近時、男女の雇用機会の均等が図られつつあるとはいえ、とりわけ未就学児童を持つ高学歴とまではいえない女性労働者の現実に置かれている立場にはなお十分な配慮を要するのであって、本判決をもってそのような労働者であっても雇用契約締結当時予期しなかった広域の異動が許されるものと誤解されることがあってはならないことを付言しておきたい。

(裁判長裁判官金谷利廣 裁判官千種秀夫 裁判官元原利文 裁判官奥田昌道)

上告代理人斉藤誠、同山本政明、同佃俊彦、同坂本福子、同松井繁明、同杉井静子、同今野久子、同堤浩一郎の上告理由

第一、上告理由第一点 憲法違反

原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな憲法の違背が認められる。

原判決は、憲法第一三条、第二二条一項、第二四条二項、第二五条、第二七条および第九八条に違反する。

一、東亜ペイント判決への全面的依拠。

原判決の最大の特徴は、その判断の帰結が最高裁判所東亜ペイント事件判決(昭和六一・七・一四、最二小判決=裁判集民事一四八号二八一ページ。以下「東亜ペイント判決」という)を援用し、かつそれに全面的に依拠しているところにある。さらに具体的にいえば、原判決が援用し、かつそれに依拠しているのは同判決の、以下の判示部分である。「当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合または業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである」。

原判決は、東亜ペイント判決の右判示部分の「当該転勤命令」を「当該異動命令」に置き換えただけで、そのまま援用しているのである。しかし、東亜ペイント判決の右判示部分を導き出した諸事実と本件を構成する事実関係との間には大きなへだたりがあり、本件判決に東亜ペイント判決の右判示部分をそのまま援用することには重大な誤りがあること、のちに上告理由第二点で詳論するとおりである。

そのことはさて措くとしても、東亜ペイント判決自身の右判示部分には、重大な疑問があるものといわざるえない。それは、東亜ペイント判決が以下のような諸要素を慎重に考慮した形跡がまったくうかがえないところにある。

使用者が労働契約によって取得した労働力をその生産活動の目的に沿って適正に配置しうる権限をもつことは、一般的には承認されるべきであろう。しかし、使用者による配置転換命令によって労働者がしばしば、労働条件もしくは生活条件における重大な負担または不利益をしいられることも、経験則の示すところである。

資本主義社会では労働力もまた商品のひとつとして取引の対象となる。しかし労働力という商品は、他のもろもろの商品と異なり、労働者の人間存在とわかちがたく結びついているところに最大の特徴をもつものである。労働者もひとりの人間として、結婚・出産・育児をふくむさまざまな人生を営む。人間としての尊厳を保つこと、人生におけるあらゆ問題についてみずからその生き方を選択・決定する権利(そのなかには当然、住居選択の権利をふくむ)を有すること、それによって自己の幸福を追求する権利その他の基本的人権を保障されるべきことが、労働者にも認められなければならない。したがって、同じ商品ではあっても、生産設備や機械の場所的移転が、原則としてその所有者=経営者の自由にゆだねれるのに反して、労働者にたいする配置転換命令が、労働力商品の人間存在性からの制約を受けざるをえないことは、きわめて当然のことなのである。

しかし、配転命令の合法・非合法または有効・無効を判断する基準として、「いかなるものを設定すべきか」は、けっして容易なことではない。使用者側の「必要性」は労働者側の「不利益」にほかならず、使用者の主張する「合理性」はすなわち、労働者側の「非合理性」とならざるをえないからである。

二、配転命令の有効性判断の基準となりえない東亜ペイント判決

そこでまず、東亜ペイント判決の前記判示部分が、右のような意味での判断基準として適正ないし妥当なものかどうか、を検証する。

1、東亜ペイント判決の、この判示部分を分析的に評価すれば、以下の諸点を指摘することができる。

第一に同判決は、使用者に原則として労働者の勤務場所を決定し、そこへの移動を命じる権利があることを認め、それを制約する論理として単に権利の濫用しか認めない、という構成をとっていることである。

そのことは、同判決のつぎの部分に明らかである。

「そして、使用者は、業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えるから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することは許されない(以下略)」(傍線引用者)。

なるほど「転居を伴う転勤」が労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えることを認め、転勤命令権の無制約でないことを指摘するものの、もともと使用者の「裁量」による転勤命令権を許容し、その制約も「濫用することは許されない」とするのみなのである。しかし権利の濫用が許されないことは、近代民事法の当然の事理にすぎない。その意味では、東亜ペイント判決はなにひとつ新しい基準を提示していない、または提示しえていないところに特徴がある、というべきであろう。

第二に、東亜ペイント判決が権利濫用を認定する基準として挙げているもののうち、①「当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合」および②「当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたもの」というのは、あまりにも典型的かつ当然な権利濫用の事例である。その立証責任が労働者側に負わされることとあいまって、これらによって配転命令が無効とされることは希有であろう。

企業側がなんらかの配転の「必要性」を装ったばあい、生産・業務関係の資料をもたない労働者がそれをくつがえすのは至難である。また、「不当な動機・目的」とは企業幹部の内心の状況にすぎず、労働者はその客観的反映である種々の間接証拠・状況証拠によって立証するほかはないが、これもまた極めて困難なことはいうまでもない。

そこで第三に、通常の事例において東亜ペイント判決が示す判断基準は、 ③「労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもの」―だけとなる。

厳密にいえば、この基準自体、きわめてあいまいである。「労働者(が)通常甘受すべき程度(の)不利益」とはなにか、が改めて問われなければならないからである。

これを厳格に解して、人間の尊厳・幸福追求の権利など労働者の有する人間的諸価値と生産上の必要性とを客観的に比較較量する立場を導き出すことが不可能ではないであろう。

しかし実際には、本件原判決をふくむその後の下級審各判決は、結局「配転命令によって通常生じる労働者側の不利益」とは、すなわち「労働者が通常甘受すべき程度の不利益」と理解し、それにもとづく労働者に対し苛酷な判断が続出している。

そのあいまいさの故に、このような「理解」もまた許容する「基準」なのである。

したがって東亜ペイント判決が示す、配転命令の有効・無効にかかわる「判断基準」は、現実の機能としては、すべての配転命令の「有効性」を肯定する「基準」でしかないのである。このような「理解」のもとではおそらく、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」とは、かつての千代田丸事件のように戦争による生命・身体の危険が予測されるような事例しか想定しえないであろう。

2、このようにみてくると、東亜ペイント判決は、少なくともその現実的機能においては、以下の諸点のきびしい批判を免れえないであろう。

第一に、ここでは、労働力商品が労働者の人間的存在と結びつき、配転命令の有効性判断の基準は労働者の人間的尊厳・幸福追求の権利および基本的人権を尊重すべきものであることが、まったく無視・捨象されていることである。

そのことの当然の帰結として第二に、東亜ペイント判決の示す「基準」は、事実上すべての配転命令を「有効」とするものでしかなく、企業の「人事権の絶対化」をはかる、まさに「企業社会の論理」を貫徹させたものである。

したがって第三に、これは、労働者が人間として有する憲法的諸価値と企業の人事権との合理的調整をはかる、配転命令の有効性を判断する基準として、まったく機能していないのである。

―このような東亜ペイント判決およびそれが示す「基準」は早急に廃棄されるべきものであり、このような誤った「基準」に全面的に依拠した原判決はただちに破棄されるべきである。そのうえで、人間の尊厳をはじめとする労働者の人間的・憲法的諸価値を十分に考慮した、配転命令に関する新しい基準を創設することは、いま最高裁判所に課せられた重大な職責であることを指摘せざるをえないのである。

三、労働者が人間であることによって有する憲法上の諸価値・諸権利

「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」ことを憲法三二条は定める。これは、単に手続的保障のみならず、これが憲法に規定してあること自体によって、国民に憲法の諸原理・諸基準にもとづく裁判をうける権利を保障するものである。

それでは、配置転換事件、とくに住居の移転を伴うそれにおける、労働者側に保障されるべき憲法上の諸原理・諸基準にはいかなるものがあるだろうか―。

1、第一に憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される」こと、および生命、自由とならんで「幸福追求に対する国民の権利」が、公共の福祉に反しないかぎり「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」ことを定める。

労働者もまた国民のひとりとして「個人として(の)尊重」=人間の尊厳を保障され、「幸福追求の権利」を確保されるべきこと当然である。

この「幸福追求の権利」は、すくなくとも人格権を憲法上保障したものと理解されている。

人格権の内容もまた多様であるが、本件とのかかわりでいえば、そのなかには「自己の人生を決定する権利」が含まれることが重要である(樋口陽一「憲法」二七三ページ)。人間はその生涯において、進学、職業選択、結婚、住居の選択、出産、育児その他の「ライフ・スタイル」につき、さまざまな選択と決定をせまられる。しかしそれらの選択・決定は、国家・自治体などの権力や企業その他の社会的権力の圧迫に抗して、あくまでも個人が決することのできるものであるべきで、わが憲法体系もまた、こうした「人生における自己決定の権利」を認めるものである。その具体的表現がこの「幸福追求の権利」なのである。

2、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」(憲法二二条一項)。

居住、移転の自由は、歴史的沿革において、人びとを土地に縛りつけていた封建的生産関係をこわし、資本主義的生産関係を発展させるうえで決定的意義をもった。

今日では、対国家権力との関係においてこの条項がはたす機能は減少しているが、それにかわる社会的権力たる企業対国民の関係では、本件がまさに典型的であるように、ひきつづき重要性をもっている。とりわけ、この人権が単に経済的自由の側面をもつだけでなく、個人の生き方の中枢部分にかかわる、精神的自由、人身の自由としての要素を色濃く担っていることが重視されるべきである。一般に居住、移転の自由は、「経済的自由」に分類されるが、そのなかでも、もっぱらその経済的側面だけを問題にすればよいもの(たとえば巨大企業の経済的自由)と、本件のように個人の生き方にかかわる人格的な要素を無視できないものとでは、「それらの制約の憲法適合性を判断する際の憲法の基準が違ってきてしかるべきもの」(前掲書二三三ページ)との指摘は重要である。

3、家族生活における個人の尊厳と両性の平等を定める憲法二四条は、その第二項において、配偶者の選択、財産権および相続とならんで「住居の選定」について、法律が「個人の尊厳と両性の平等の本質的平等に立脚して制定されなければならない」ことをさだめる。

この規定自体は、婚姻生活において、かつての戸主権が家族の居所を指定する権をもっていたような半封建的制度の排除をめざすものである。しかしこの条項は明らかに、「住居の選択」が「個人の尊厳」と深くかかわっていること、そしてそれが不合理に侵害されるべきでないこと、などを基本とする憲法的価値を当然のこととして承認していることを示すものである。

4、すべての国民は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」のあることを、憲法二五条は定める。

社会権を承認する原則的規定としての憲法二五条の主体は、「すべて(の)国民」すなわち国民個人であることはいうまでもない。しかし同時に、それらの個人が結婚・出産・育児をつうじて形成する家族は、わが憲法のもとでも、独自の意味を託され、それが「健康で文化的な最低限度の生活」を営む基本的単位として承認されている。したがって、この社会の基本的単位としての家族の離散・崩壊はすなわち「健康で文化的な最低限度の生活」の基礎をゆるがすものとして、原則的社会権に対する重大な侵害と捉えざるをえないのである。

5、憲法二七条は「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負」うことを定め、「勤労条件に関する基準」を法律で定めるものとする。

国民にとって「勤労」は権利であるだけでなく「義務」でもある。勤労条件の法定は、いかなる条件も法律で定めうることの承認ではもちろんなく、憲法二五条をはじめとする憲法的諸価値にもとづく法定をつよく要請するものである。

したがって、憲法二七条はそれ自体、転居をともなう配置転換など労働者の生活・労働条件に重大な影響をあたえうる事項につき、使用者の合理的抑制を求めるものであり、さらにこれを拒否したことを理由とする解雇を厳しく規制するものといわざるをえない。不合理な理由にもとづく配転命令を許容することはそれ自体、労働条件法定主義の本旨に反し、かつ、それを拒否したことを口実とする解雇は、まさに労働者の「勤労の自由」を奪い、しかもその「義務」の履行を不可能にするものだからである。

―以上のような、労働者がまさに人間であることのゆえに憲法の明文上認められる、労働者の有する諸価値・諸基準は同時に、今日の国際的労働基準に照らしても優に承認されるべきものであること、以下に詳論するとおりである。

四、当該労働者とその家族の利益・権利を保障する国際基準とこれらの国内法的効力と本件の適用

1、国際規範

(一)世界人権宣言及び国際人権規約

一九四八年(昭和二三年)国連において採択された世界人権宣言は、その前文において人間の基本的人権の尊重を規定すると共に、その第一二条で「何人も、自己の私事、家族、住居若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する」と定め、一六条三項では「家族は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって社会および国の保護を受ける権利を有する」と規定している。

一九六六年(昭和四一年)に採択され、わが国も一九七九年(昭和五四年)に批准した「市民的および政治的権利に関する国際規約」(B規約)の二三条一項はこれを受けて同文の規定をおき、二項で「婚姻をすることができる年齢の男女が婚姻をしかつ家族を形成する権利は認められる」としている。さらに同様に一九六六年(昭和四一年)に採択され、わが国も一九七九年(昭和五四年)に批准した「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(A規約)は、六条で「すべての者が自由に選択し又は承諾する労働によって生計を立てる機会」「労働者及びその家族のこの規約に適合する相応な生活」、一〇条で「できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、特に、家族の形成のために並びに扶養児童の養育及び教育について責任を有する間に、与えられるべきである」と規定している。

これらの規定は、すべての個人が家族を形成し、家庭生活を営む権利と、すべての人が自由に選択した労働によって家族を含めた相応な生活を確保できる労働の権利を、基本的人権として保障したものと解される。そして、これらの権利は「社会及び国」によって保護されるものとしているから、これを侵害するような国の立法、行政、さらには社会の行う行為・措置もまた権利侵害とみなされるのである。即ち、上告人が三歳の子どもを抱え、夫と共に家族の団欒を営みながら働き続ける権利は、こうした国際的宣言や条約によって社会的に保障されているのである。

(二)女子差別撤廃条約

一九七九年(昭和五四年)に採択され、わが国も一九八五年(昭和六〇年)に批准した「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」は、前文で「家庭及び子の養育における両親の役割」「子の養育には男女及び社会全体が共に責任を負うことが必要である」という基本的理念を強調し、一一条一項aで「すべての人間の奪い得ない権利としての労働の権利」、一六条一項dで「子に関する事項について親としての同一の権利及び責任」を規定している。この条約は国家に対してだけでなく、「個人、団体又は企業」に対しても適用され、既存の法律だけでなく「規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止すること」(二条e、f)を求めている。

右前文の基本的理念は、労働権を含めた男女平等の達成のためには、子の養育をはじめとする家族的責任は男女で平等に負担すること及び社会全体の責任が不可欠であるとの認識に基づいて国際的に合意されたものである。この基本的理念を実現するためのあらゆる措置をとることを企業自身が求められているのである。

(三)子どもの権利条約

一九八九年(平成元年)に採択され、わが国も一九九四年(平成六年)批准した「子どもの権利に関する条約」は、その前文では「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、」と規定し、子どもの養育についての家族のあり方、社会においての責任を規定すると共に、「子どもが親の意思に反して親から分離されないことを確保する」(第九条)、「親双方が子どもの養育および発達に対する共通の責任を有するという原則の承認を確保するために最善の努力を払う」(一八条一項)と規定している。

(四)国際家族年

これらの規定を受けて、国連では一九九四年(平成六年)を国際家族年と定め、人間社会における家族の重要性を打ち出している。このテーマは「家族から始まる小さなデモクラシー」とされ、社会の基本的単位が家族であり、すべての個人が家庭責任を営む権利を有すること、そして右権利が基本であることを打ち出した。

(五)ILOにおける家族的責任を有する男女労働者の機会及び均等に関する条約(一五六号)、勧告(一六五号)

一九八一年(昭和五六年)、ILOは、「男女労働者特に家族的責任を有する労働者の機会均等及び均等待遇に関する条約(一五六号)」、同勧告(一六五号)を採択した。わが国も一九九五年(平成七年)六月、同条約を批准している。

同条約の前文では、「家族的責任を有する男女労働者の間及び家族的責任を有する労働者と他の労働者との間の機会及び待遇の実効的な均等を実現すること」という二つの目的をかかげ、これを「家族的責任を有する労働者の特別の必要に応じた措置及び一般的に労働者の条件を改善することを目的とする措置」によって実現するとしている。勧告一八項では「一日の労働時間の漸進的短縮」、勧告二〇項においては「労働者を一の地方から他の地方へ移動させる場合には、家族的責任及び配偶者の就業場所、子を教育する可能性等の事項を考慮すべきである」と規定している。

即ち、これらの規定は、子の養育に対する家族的責任は、企業においても当該労働者について十分に配慮せねばならないことを定めているのである。

本件におけるような三歳の子どもを抱えて約二時間近くかかる勤務地への配転は、一日の生活時間を考慮するだけでほぼ不可能であり、また配転にあたっては配偶者の勤務地等を十分考慮されなければならぬのであり、これら国際的規範からみても、原判決はこれらの国際規範を看過しているのである。

2、国際規約について遵守する義務があることを憲法九八条二項は規定している。原判決はこれらを看過しており憲法に違反する。

憲法九八条二項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と規定している。この規定は日本が批准した条約ならびに国際慣習法である確立された国際法規に国内的効力を与えたものであるという説が圧倒的多数の通説であり、判例においても認められている。

さらに憲法七六条三項は、「すべての裁判官は……この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定しているが、ここでいう「法律」は、形式的意味の法律ではなく、法規範一般を意味し、国内的効力を持つ条約ならびに確立された国際法規も含むものとされている。

したがって、これら批准された条約ならびに未批准であっても確立された国際法規と認められる国際慣習法化した条約も国内的効力を持ち、裁判官の裁判にあたっての判断に於いてこれらに拘束されるものである。

よって原判決は、前述の通り、これらの日本が批准した条約ならびに確立された国際法規によって認められた家族の価値を全く否定するものとなっており、この点で国際規範に違反し、ひいては憲法九八条二項に違反しておりこれは原判決に影響を及ぼすことが明らかである。

五、使用者の「権利」の憲法的評価

―以上のような、憲法上の諸価値・基準によって裏づけられ、かつ、国際労働基準によって承認される労働者の諸権利にたいし、企業の有する「配転命令権」の実体と、その憲法上の評価はいかなるものなのであろうか。

1、「配転命令権」を根拠づける使用者の「人事権」とはなにか。それは所詮、労働契約にもとづいて使用者が取得する労働力の合理的配置の権限にすぎないはずである。

それにもかかわらず、人事権の優位性=原則的有効性を主張する学説は大別して二つに岐れる。すなわち、ひとつは労働協約・就業規則の「規範的効力」を説くものであり、ふたつは、労働契約締結時における、労働者の労働協約・就業規則を承認する旨の「包括合意」に根拠をもとめるものである(この二説のあいだにも多岐にわたる学説の分布があることはいうまでもない)。

しかし、なにゆえに労働協約・就業規則が労働者の個別的意思を超える「規範力」をもつのか。これをつきつめれば、使用者が生産手段を独占的に私有している社会的実態によって説明するしかないのである。また、労働者が将来の長い労働生活のすべてにおいて、いかなる条件においても会社の人事権行使を包括的に同意するというのは、個別・具体的にほとんどありえないことである。かりにありえたとしても、社会・経済的に優位に立つ使用者による労働者の意思の抑圧の結果でしかない。その意味では「包括合意説」は、ある種の擬制=フィクションにすぎない。では、いかなる理由によってこのような擬制=フィクションが成立するかといえば、これまた、使用者の生産手段の独占にゆきつかざるをえないのである。

したがって、配置転換命令権をふくむ使用者の「人事権」なるものは、ついには使用者の所有権にゆきつくことになる。

2、それでは、使用者の「所有権」の憲法上の意義と限界はどこにあるのであろうか。

私的所有権は、わが憲法において「財産権」の保障(同二九条)として規定されている。もちろんこれは、私有財産制を基礎とする資本主義体制を憲法が容認しているという限りでは、重要なものである。しかしこの財産権の保障は「公共の福祉に適合する」範囲(同条二項)でのみ認められるものであって、その他の基本的人権が、その内在的制約の範囲でしか制約されないこととは、いちじるしい対比を示している。

したがって第一に、所有権=財産権は、その他の基本的人権、とくにその優越的地位を承認される諸権利にたいし劣後的地位にあることを確認せざるをえないのである。

第二に、所有権=財産権は、その他の基本的人権(たとえば住居選択・移転の自由)に対する「公共の福祉」たることを主張しえないものである。憲法二九条による私的財産権=所有権の擁護はあくまでも「私的」権利の保障(それも公共の福祉に適合する範囲における保障)にほかならないのであって、それ自体「公共の福祉」たりえないのである。したがって所有権は、それと競合するその他の基本的人権とのあいだにおいて、比較・調整すべき対象とはなりえても、他の人権を制約する原理とはなりえないものなのである。

―こうして、企業によってしばしば「絶対的」なもののように主張される「人事権」は、公共の福祉によってつよく制約される所有権=財産権に裏づけられているにすぎず、人間の尊厳、幸福追求の権利その他の労働者の基本的人権に到底優越しえないのである。

六、東亜ペイント判決の判例変更を求める。

1、すでにみてきたとおり、労働者は、まさに人間であることから、憲法上の諸権利を保障されている。配転命令の効力を評価するうえでも、このことが当然、十分に考慮されなければならない。その意味で、これをまったく考慮せず、「公共の利益」に従属せざるをえない所有権=財産権に基礎をおくにすぎない人事権につき、事実上、その「絶対性」を擁護するものとなっている東亜ペイント判決は、憲法一三条、同二二条、同二四条二項、同二五条、同二七条一項、九八条二項に違反している。同判決の判例的拘束力は否定されるべきであり、同判決に全面的に依拠した原判決は破棄を免れないのである。

最高裁判所には、この問題につき判例を変更し、憲法の諸原理・諸基準にのっとった基準を示すべき責務がある。

2、配置転換の効力につき、いかなる基準を設定すべきか―。

それは、さほど簡単な問題ではない。

労働の実態は多岐・多様にわたり、配置転換の有効・無効を一律に決定する一般的基準を設定・定立することがはたして可能か、という疑問も理由のないものではない。

その意味では上告人側も、すべての配置転換につき「当該転勤先への異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定する」ことまでをも求めるものではない。しかし、一般的基準を設定・定立するとすればそれはすくなくとも、労働者側の憲法上認められる諸価値と、使用者側の必要性・合理性とを総合的に比較衡量し、当該配転命令が労働者の基本的人権を実質的に侵害しないばあいに限って、配転の有効性を認めるものとすべきである。

この一般的基準の設定・定立とならんでさらに、企業と労働の実態、労働者の学歴・職歴および現在の業務内容、将来的予測などの具体的条件によって、配置転換の効力基準を細分化してゆく努力が求められている、といえよう。

とりわけ本件のような場合においては、以下上告理由第二点において述べるように、「余人を持っては容易に替え難い」という高度の基準が適用されてしかるべきであろう。

このようにして、配置転換の効力基準として今日求められるものに照らしても、東亜ペイント判決は早急に判例変更されなければならないのである。第二、上告理由第二点 原判決の判例違反の違法性

原判決は、東亜ペイント事件最高裁判決に照らしても、理由不備の違法ならびに明らかに判決に影響を及ぼすべき判例違反が存在する。

一、東亜ペイント判決の認定事実と判旨

右最高裁判決は、次の事実を認定し、その事実をもとに後に述べる論理で会社側の転勤命令権を認めている。

1、事実関係

上告会社東亜ペイント(控訴人・被告、以下Yという)は、大阪に本店および事務所を置くほか全国一三ヵ所に営業所を有し、従業員約八〇〇名を擁し塗料等の製造・販売を行っている。

Yと従業員組合との間の労働協約では、「会社は、業務の都合により組合員に転勤、配置転換を命ずることができる」と定め、またYの就業規則は、「業務上の都合により社員に異動を命ずることがある。この場合には正当な理由なしに拒むことは出来ない」と定めている。

被上告人(被控訴人・原告、以下Xという)は、昭和四〇年三月に関西学院学経済学部を卒業し、同年四月Yに入社すると同時に大阪営業所に配属された後、昭和四四年四月から四六年七月まで他社に出向し、復帰後は神戸営業所で勤務していた。昭和四八年九月、Yは、Xに対し広島営業所への転勤(主任の後任人事)を命じたが、Xは、母親が長年住み慣れてきた大阪を離れて生活することが困難であること、妻の職業の関係等から単身赴任せざるをえないという家庭の事情を理由に右転勤命令を拒否した。そこでYは、名古屋営業所の主任Zをもって広島営業所の主任にあてるとともに、Xに対し、Zの後任として名古屋営業所へ転勤する旨を命じた。Xがこれをも拒否したので、Yは業務命令違反を理由にXを懲戒解雇に付した。

2、判旨

判決は、右事実をもとに、

「上告会社(Y)の労働協約及び就業規則には、Yは業務上の都合により従業員に転勤を命ずることができる旨の定めがあり、現にYでは、全国に十数ヵ所の営業所等を置き、その間において従業員、特に営業担当者の転勤を頻繁に行っており、被上告人(X)は大学卒業資格の営業担当としてYに入社したもので、両者の間で労働契約が成立した際にも勤務地を大阪に限定する旨の合意はなされなかったという前記事情の下においては、Yは個別的同意なしにYの勤務場所を決定し、これに転勤を命じて労務の提供を求める権限を有するものというべきである。」

と判示した。

二 東亜ペイント事件判決の適用範囲

1、右事件の判旨の特徴は、転勤命令権の法的根拠を、就業規則及び労働協約上の転勤を義務づける規定に直接求めているのではなく、社内における転勤慣行及び契約締結の際における特約の有無等に求めている点である。

すなわち、右事件では、①全国に十数ヵ所の営業所等を置き、労働者、特に営業担当者の転勤を頻繁に行っていること、②当該労働者が遠隔地への転勤をも予定して入社していること、③企業と当該労働者との間で勤務地を特定地に限定する旨の合意がないことを判示して、当該労働者に対し転勤を命じて労務の提供を求める権限を企業に認めているのである。決して就業規則及び労働協約の規定のみで転勤命令権を認めているのではなく、会社内で営業担当者の転勤が全国営業所間で頻繁に行われていたという「事実たる慣習」に根拠を求めていると解されるのである(「季刊労働法」一四二号三四頁・高木絋一「配転・出向法理の新展開」)。

2、ところが、本件での事実関係は、この東亜ペイント判決の事情とはまったく異なっている。原判決の認定した事実からも、この点は明らかである。

(一)本件での上告人は、昭和五〇年七月に、被上告人株式会社ケンウッド(以下「会社」という)に中卒の現場労働者として採用され、同社の東京事業所の生産グループに配属され勤務した(甲第二〇号証、乙第三二号証の一)。本件上告人は、中卒の地元採用の現場労働者として、転勤の対象などとは全く考えられていなかったのである。昭和五六年頃、上告人は同じ事業所内の通信機事業部に異動になり、職種は一般事務に変更になったが、勤務場所の変更はなかった。その後勤務場所は本社になったが、それは職場が本社に移転したからである。その後、長男を出産いた上告人は、後述の経緯で目黒区青葉台の技術開発本部企画室に異動させられた。そのこと自体会社では異例のことであるが、上告人は職種が変わるわけでもないし、何とか工夫すれば育児等の家事と仕事の両立ができるので、働き続けるために異議を述べずに応じたものである。

上告人採用の際に、上告人のような中卒の地元採用の現場労働者が異動ましてや転居を伴う転勤をするなどということは、全く予定されていなかったのであり、それは経験則上からも明らかである。

現に、会社では、事業所の廃止・移転による場合を除いて、上告人のような女性が会社により転勤させられたことはない(第一審一八回久保田証人調書一〇九〜一一一頁)。

これに対し、東亜ペイント事件の原告は、大卒で、かつ転勤が頻繁に行われている営業に従事していた者である。この差は決定的である。会社では営業担当者が頻繁に異動している事実からして、少なくとも営業担当者に転勤がありうることは、予測できた事案である。ところが、本件では採用の際も、その後も、転勤などは予想もされない労働者の事案である。

(二)東亜ペイント事件の労働者は、転勤により職種は変更されていない。従前どおり営業の仕事であり、転勤前の経験を活かし、その能力を延ばしていくことが可能であった。これに比し、本件では、上告人は、せっかく希望して一般事務の仕事につき意欲をもって働き、大変やり甲斐を感じ、勤務評定も上昇していた時期に(一審第一九回本人調書・二二七〜二三五項)、現場の単純肉体労働に従事するという、職種の変更を伴う異動を命じられたのである。これは上告人の希望に反し、著しい不利益を伴う異動である。

(三)また、本件のように異動により事務労働者から現場労働者になる場合、上告人が本件異動により昇進・昇格で有利な条件を確保しうるなどということは、微塵もない。このことは、現場女性労働者が、昇進・昇格している事例がないという経験則からも明白である。昇格・昇進どころか、上告人は、事務労働者としての従前の労働能力を高め、経験を積んでいくという機会をいきなり奪われたのであり、労働者としての能力の伸長という面からも、上告人にとっては重大なマイナスの影響のみである。

これに比し、東亜ペイント事件の場合は、主任待遇であった労働者を名古屋の主任の後任者として転勤させるというものであるから、キャリア形成上はマイナスはない。むしろ、大卒労働者が転勤によりキャリアーアップし、昇進していくということは、経験則上明らかなことであり、転勤はキャリア形成上においては有利な面を有している。ところが、上告人の場合は、このようなプラス面は皆無であり、後に述べるように逆にむしろ手取り月額一一万円余(甲第二号証)という収入の全てを、三重、四重保育に充てなければ(さらにいえば、そのような経済的負担をしても、保育者を見つけることはほとんど絶望的である)子どもを育てることもできないという、不利益を強いられる結果となるのである。

(四)会社の就業規則では、「従業員は、その国籍、信条または社会的身分を理由として労働条件につき差別的取扱いをうけることはない。」(同規則四条)と規定し(乙第三三号証の一)、労働協約においても「人事は会社の権限と責任で公正におこなう。」と定めている(同号証の二)が、本件異動命令は、上告人に著しい不利益を与える、不公平きわまりない人事である。

3 以上のとおり、東亜ペイント判決と本件では、前提となる事実関係が全く異なる。このような事実関係が異なる本件では、東亜ペイント判決の理論を適用することができないことは、明白である。

三 本件に適用されるべき法理

本件では、東亜ペイント判決の理論に照らしても、そもそも会社に本件異動を命じる権利はない。また仮にそれが認められるとしても、その行使については厳格な制約が課せられるべきである。当該転勤命令権の行使が濫用になるか否かは、東亜ペイント判決と事実関係が異なる本件の場合は、右の判決の理論をそのまま適用することは許されず、別の法理が適用されるべきである。

すなわち原判決は、事実関係が明らかに異なる本件について東亜ペイント判決の判断を適用する場合には、当然にその適用の理由を述べるべきであり、一切の前提なしに同判決を適用している原判決には理由不備の違法が認められるのである。

また東亜ペイント判決では、後の上告理由第三点において詳述するように、企業に転勤命令権が存する場合でも、労働者の受ける不利益と業務上の必要性の比較考量によって権利濫用になるか否かを判断している。しかし本件の場合は、そもそも前提となる事実関係が異なるうえに、上告人の受ける不利益が後に上告理由第四点、同第五点に述べるように「退職か離婚か」という重大かつ深刻な影響を受けるという「特段の事情」がある。このような場合には、異動の必要性については、厳しく解釈されるべきであり、少なくとも、「余人をもって替え難い」という事情の有無について判断されるべきである。ところが本件の場合には「余人をもって替え難い」という事情は全く存しないだけでなく、上告理由第三点において述べるとおり、異動の必要性それ自体が存しなかったのであるから、本件異動命令は、会社の権利濫用として無効である。

したがって、原判決は、東亜ペイント判決に照らしてもその判例に違反することは明白であり、これは判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽、法令違背と認められるのである。

第三、上告理由第三点 業務上の必要性・合理性の不存在〈省略〉

第四、上告理由第四点 不当な動機・目的の存在〈省略〉

第五、上告理由第五点 上告人における著しい不利益の存在

原判決には、上告人における著しい不利益の存在に関し、理由不備、理由齟齬の違法、明らかに判決の結果に影響を及ぼす事実誤認、経験則違反、採証法則の適用の誤り、法令解釈の誤り、および判例違反の審理不尽の違法が存するのである。

一、本件審理の対象

本件異動命令は、「転居を伴わない異動命令」であることは明白である。

原判決は、「本件異動命令が転居を伴わない異動として内示され、かつ発令されたことは、当事者間に争いがない」(同判決九丁)としながら、転居を伴わない異動命令と転居を伴う異動命令との間に、「質的な差異はない」(同判決一〇丁裏)という。

しかし、両者は会社の労働協約上も異なった取り扱いをしており、質的な差異があることは明らかである。

そして、発令者自身が本件異動命令を転居の伴わないものと自己限定している以上、労働者がそれを超えて従う義務はないことは当然である。

会社と組合との労働協約(乙第三三号証の二)によると、「転勤(住居の移転を伴うもの)については、原則として発令日の七日前までに本人に内示する」(第三〇条三項(3))とあり、また、「部門(本社各部および事業部)間の異動および勤務地の変更を伴うものについては、原則として発令日の二日前までに本人に内示する」(同項(4))とあって、住居の移転を伴う異動と伴わない異動を裁然と区別している。

すなわち、異動命令を発令するには、住居の移転を伴うものについてはその七日前までに内示しなければならないことは労働協約上明らかである。

そして、本件異動命令が、住居の移転を伴わず、勤務地の変更を伴う異動であることは会社も認めるところである。

本件審理の対象は、上告人が転居を伴わない本件異動命令に従うことが可能だったか否かでなければならず、それを転居を伴う異動命令と「質的な差異はない」として、「転居により本件異動命令に従うことは実際上可能であった」(同判決一二丁)とした原判決には明らかに判決の結果に影響を及ぼす審理不尽、理由不備、理由齟齬の違法がある。

二、原判決の違法性

原判決は以下の事実認定を行っているが、以下に述べる理由において明らかに判決の結果に影響を及ぼす事実誤認、採証法則の適用の誤り、法令違反の審理不尽の違法、ならびに理由齟齬、理由不備の違法が認められる。

1、上告人の通勤時間が片道約一時間四三分

八王子事業所の始業時刻は午前八時五五分、終業時刻は午後五時三五分である。

上告人が異動命令に従って八王子に通うためには、遅くとも朝七時一二分旗の台駅発の電車に乗らなければならない。上告人の住居から駅まで約一〇分かかると見て、住居を午前七時二分に出るという前提で、原判決(一審判決も)は、上告人の通勤時間は片道約一時間四三分という結論を導いている。

しかし、これは机上の計算であり、上告人の住居から旗の台駅まで十数分かかるとみなければならないし(したがって、上告人が家を出るのは午前七時前になる)、そもそも、保育園の開園が午前七時三〇分からで、異動命令に従った場合、上告人自身が長男を保育園に送ることができないということを全く無視している。

また証拠上も、乙第三一号証では新宿発七時三八分の電車の豊田駅到着時刻は八時二六分となっているが、甲第三二号証の時刻表によれば新宿発七時三九分発の豊田駅到着時刻は八時一九分となり、時間にして八分近く当時の方が時間がかかっていることになる。ところが乙第三一号証では豊田駅での会社バスの乗り換え時間がわずか四分しかなく、甲第四八号証の上告人が実施したビデオ検証では、この乗り換え時間には八分がかかることが証明されている。

この結果から行くと原判決が認定した通勤時間一時間四三分を認定する基礎となった乙第三一号証は誤りとなって、当時は一時間四三分では通勤できなかったことになる。

一方甲第四八号証のビデオ検証結果によっても午前六時四五分に家を出て会社到着は午前八時四七分となっており、途中同号証9の説明にあるように新宿駅で九分待ちをしただけで後はほとんど余裕のなかったことからしても、通勤に二時間近くがかかることは疑いのないことである。

また、帰宅時刻が早くとも午後七時三五分ころになることは、原判決が引用した一審判決(同判決一九丁裏)でも認めていることであり、帰路に約二時間かかることをあえて無視し、「通勤時間が片道約一時間四三分」という机上の計算による最短時間を上告人の通勤時間としている。

この点、原判決の認定には理由齟齬の違法、判決に影響を及ぼす採証法則違反、審理不尽の違法が存するのである。

2、他の女子社員の通勤時間

原判決は、久保田証言、布川証言により、「女子従業員のうち一時間二〇分から二時間近くを要するものが約一〇名」いると認定している。氏名、婚姻の有無、住居、通勤経路、従業員の家族の状況等何ら具体的でない証言によりこれを認定することは、採証法則の適用の明らかな誤りである。

また、上告人とは通勤時間に関して最も重要な要素となる学齢前の子どもを保育園に預けていないような環境が異なる者の通勤時間のみを認定しても、本件ではそれを上告人の通勤可能性の根拠とすることはできないので、この点は理由不備ならびに審理不尽の違法も認められる。

なお、原判決は、甲第一〇号証もその根拠として挙げているが、それは一九八六年(昭和六一年)三月一日時点のアンケートであり、布川証言でもその時期は一九八六年(昭和六一年)秋の移転に際しての調査で、それは甲第一〇号証と同一のものと思われる。したがってそれがどのように「昭和六三年二月当時」という認定になるのか不可解であり、理由不備、理由齟齬ならびに明らかに判決に影響を及ぼす審理不尽の違法が認められるのである。

三、通勤不可能性についての上告人の主張・立証の概要

原判決は、「約一時間四三分の通勤時間(片道)それ自体は通勤可能な範囲内の所要時間というべきである」(同判決九丁)と一般論を展開しているが、さすがに、当時の現状のままで、上告人が通勤可能だとは言っていないようである。

四、原判決の論理操作

それにもかかわらず、原判決が、「いかなる場合にも…通勤が不可能であったということはできない」という結論づけたのは、次のような論理操作によるものである。

①相談等すれば「保育問題を解決することができた余地があ」る。

②「相応の経済的負担を伴う」が、「別の第三者に保育を依頼することが可能であったのではないかとも思われる」。

③会社が「できる限りの配慮をしようと考えていた」。

④和解交渉の中で、一時的な八王子通勤に同意していた事実。

五、しかし、この論理操作を行った各点は次のようにすべて破綻している。

1、①の点は、単に解決の手続きを示したものに過ぎず、それも「余地がある」という程度のものに過ぎない。

その手続きによってどのような解決が図られるのかを示していない。しかもこれは、鈴木陳述書(甲第四五号証)、小林陳述書(甲第四六号証)などの明白な証拠に反した認定となっている。

すなわち、上告人が鈴木、小林の両名に相談したとしても保育問題は解決しないことは証拠上明らかで、それ以外にどのような「職場の上司、同僚等」に相談したらよいのか、原判決は何も語っていない。

この点につき、原判決には理由齟齬、理由不備の違法、明らかに判決の結果に影響を及ぼす事実誤認、経験則違反、採証法則の適用の誤り、審理不尽の法令違背が認められるのである。

2、②の点は、上告人が経済的負担に耐えられることを条件とした条件付解決案に過ぎず、原判決には、その負担がどのくらいのものか、上告人が負担に耐えられるかとの認定はない。

朝晩の第三者保育に要する「相応の経済的負担」が、手取り月額が一一万円余の上告人の収入を上回ることは明白であって(後の平成七年一〇月一六日にフジテレビ系で放映された「ビッグトウデイ」において本件が取り上げられその中のテレビ取材では、ベビーシッターの料金は月一二万円から一三万円がかかるとなっている)、上告人がこの経済的負担に耐えられないことは経験則上明らかであり、これに反した認定をしている原判決は、理由齟齬、理由不備の違法、明らかに判決結果に影響を及ぼす経験則違反、審理不尽の法令違背がある。

また、原判決がいう「保育問題の解決」とは、親がいない間の三歳児の面倒を誰が見るか、ということに過ぎず、実の親が子供と接する時間が極端に短くなることによる子どもに対する悪影響(これは経験則上明らかである)ならびに親自身の体への悪影響を全く考慮していない。

上告人は、原審に於いて新たに子供に対する悪影響ならびに親の身体への悪影響を主張し(上告人最終準備書面五〇頁以下)、これらの問題の解決を含めた「保育問題の解決」を主張した。しかるに原判決は、この点につき事実摘示においても脱漏させ、かつこれについて何の判断もしていず、理由不備の違法ならびに明らかに判決結果に影響を及ぼす事実誤認、経験則違反、審理不尽の違法が認められる。

3、③の点においては、原判決は、会社の内心の意思とその表明を会社の主張どおりに認定したに過ぎず、会社がどのような具体案を提示したかを認定したものではない。原判決がわずかに認定している会社の「配慮」は、「本件異動命令は転居を伴わないものとして発令されたものではあるが、上告人が転居を希望する場合には、会社において、転居を伴う異動に準じた優遇措置を実施し、異動期間の配慮をすることを了解していた」(同判決一〇丁裏)というに過ぎず、上告人が転居を希望しなかった本件では、全く「配慮」の意味をなさない。

したがって、これ自体、通勤可能性の根拠とすることはできない。むしろ、弁護士、、労政事務所、裁判所が介入して会社と交渉を続けた数か月の間、会社は「配慮」につき何の具体案も示さず、ただ、配転に応じろ、との主張をくり返すだけであったことからみれば(裁判所の和解交渉でも同様である。乙第三五号証参照)、「会社の配慮」によっては解決に結びつかないとみるのが経験則上からも正しいのである。

実際、第二子の妊娠がわかってぎりぎりの提案として、上告人側は、和解案として、子育て、妊娠中なので「遅刻、早退、欠勤に関しては、賃金カット以上の不利益は与えないこと」(甲第三一号証)との控えめな要求を出したが、それに対する会社の回答(ただしこれは上告人側には提示されなかった)は、「会社の規定通りとする」(乙第三五号証)とするだけで、明白に通勤に関する遅刻・早退に関する配慮について会社が「配慮」を拒否したことは明白である。にもかかわらず「会社が配慮をしようとしていた」と認定した原判決は、理由不備の違法ならびに明らかに判決の結果に影響を及ぼす経験則違反、採証法則違反、事実誤認、審理不尽の法令違背が認められるのである。

4、④の点は、紛争解決のため、上告人側が裁判所の和解の席で、八王子への勤務期間を限り、かつ、勤務時間を配慮することを条件に提案をしたものであり(甲第三一号証)、それも、和解交渉決裂によって、提案自体がなかったものとなるとみなければならない。原判決は、無効となった提案の、それも前提条件を全く無視して、会社に都合のよい「八王子への配転に応じる」との点だけをとらえて通勤可能の根拠にしているもので、到底認めることはできない。

また一方でこのように上告人について和解交渉に臨んだことを認めながら(同判決一〇丁)、他方で上告人が話し合いに積極的に応じようとせず、本件異動命令拒否の態度を貫いたと認定している(同判決九丁)のは明白な理由齟齬の違法が認められるのである。

したがって、この点についても、原判決は、理由齟齬の違法、経験則違反、審理不尽、採証法則の適用の誤りを犯しており、明白に判決の結果に影響を及ぼす審理不尽の法令の違背が認められるのである。

六、原判決には本件異動命令が発せられた経過ならびにこれに対する上告人の対応について重大な事実誤認が存在する。

1 本件異動命令が発せられた経過における事実誤認

(一)原判決は、「控訴人夫婦が保育のできない時間帯の保育上の問題についてみるに、被控訴人は、本件異動命令に先立ち、控訴人の経歴、家庭状況及び通勤時間等を総合的に検討した結果、通勤可能と判断したものである」(同判決九丁)と認定した。

原判決のこのような認定は全く事実とかけ離れており、明らかな証拠を無視し、何の事実に基づかぬ会社証人の証言を鵜呑みにしたものである。

(二)なぜならば第一審の最終準備書面において上告人は、異動を検討の際の努力義務の過怠の主張の中で、この点に関する問題を指摘した。

まず会社の本件異動命令に先立つ検討に関する主張は次の通りである。

会社主張は、当初第一審における答弁書では長男が保育措置されていることについては「不知」と答弁しているくらいであり(第一審答弁書第二請求の原因に対する答弁 四項(三)1)、また子どもの状況についての会社の認識は、同答弁書に、「夜七時半までに帰宅できるのであるから現況より以上に子どもの養育に支障が生ずることはない。のみならず前記苦情処理委員会において上告人が述べているとおり、子どもを預かる知人がいるのであるから支障はない。」とある通り、上告人の子どもの詳しい状況については全く把握していなかったことを認めているのである。

また会社における本件異動命令が発令される以前の検討の状況は、証拠によれば次の通りである。

上告人の上司の山田室長は、人事部の大西課長から昭和六二年一二月二日に突然人事部の大西課長席のところで、「山田さんのところの柳原をHICプロジェクトチームに異動させてはどうか」という話があったと証言している(第一審一三回山田証人調書一一〜一四項)。

仮にこのような事実があったとしたら、それは当然に、人事異動の当事者である上告人の個別的な事情を一番把握している上司に確認するための人事異動の総合的な検討の一貫としてなされた手続であると考えられるものである。

この点については、当時人事部のマネージャーであった久保田も次のように証言しているとおりである。

「人事部で一応検討したこと以外に我々人事が知りえないことがあるかないか。……あるいは私生活上で特段の負担があるとか。例えば病人を抱えている何てことは往々にしてあるわけですけれども、そういうことを直属の上司が一番日常接して分かっているわけですから、そういうことを確認するわけですね。」(第一審一六回久保田証人調書五五項)

ところがこのような人事部の確認に対して上告人の上司の山田の回答は、ちょっと考えて大西課長に「別段差し支えありません」と述べたのみだったのである(第一審一〇回山田証人調書一三〜一六項)。

またさらに昭和六三年一月一四日、本社人事部での人事部から福地部長と久保田課長、それから高橋担当、技術本部からは本部長と山田が出席した会議が開催され、その際上告人の人事異動の件が議題として取り上げられた。この際も上告人の直属の上司である山田室長はなにも述べなかったので、そのまま何の検討もなされずに決定された事実が証言されている(第一審一〇回山田証人調書六四項)。

人事部の責任者である久保田も子どもの保育について一切確認していなかったことを認めている(第一審一八回久保田証人調書一五八項)。

つまり本件異動命令についてはその直属の上司である山田が上告人の子どもの保育の状況について一切述べなかったので、事前の検討段階では上告人の子どもの保育の状況について全く検討がなされなかったことは明らかである。

また本件異動命令が発令される前に上告人に子どもの状況について、会社より別個に事情聴取が行われた事実も全く存在しない。

したがって原判決において認定した「本件異動命令に先立ち、控訴人の経歴、家庭状況及び通勤時間等を総合的に検討した結果、通勤可能と判断した」とあるが、このような事実認定は、これらの証拠によれば全くの誤りであることは明らかであり、原判決には原判決に影響を及ぼす法令の違背である事実誤認、採証法則違反、審理不尽の違法が認められるのである。

2 本件異動命令が発せられた後の上告人の対応についての事実誤認

(一)原判決には、「予想に反して、控訴人に本件異動命令を拒否されたので、事態の打開を図るため、控訴人との間で、勤務時間、保育問題等について十分に話し合い、できる限りの配慮をしたいと考えていたが、控訴人は、この話し合いに積極的に応じようとせず、本件異動命令拒否の態度を貫き、控訴人会社の担当者に話し合いの機会を与えないままに欠勤を続けた(証人久保田公弘、同布川元皓)。」(同判決九丁)と認定した。

(二)原審においては、このような事実認定に関して上告人の最終準備書面で「控訴人は会社との話し合いに積極的に応じようとしなかったか」という一項目を設けて主張した(原審最終準備書面七六頁〜一〇二頁)が、原判決はこの主張を全く脱漏させており、これは明白に理由不備の違法、審理不尽の判決に影響を及ぼす法令違背が存するものである。

(三)「上告人はこの話し合いに積極的に応じようとしなかった」とあるが、これは明らかな誤りである。この経過に関しては原審最終準備書面に主張した事実関係からも明白である。

上告人は異動命令を受けた後、会社内の苦情処理委員会に対して本件異動命令に対する異議申立を行った。

上告人はこの異議申立が却下された後、会社との話し合いのテーブルをつくるために、最初は渋谷労政事務所に斡旋を依頼した。

ところが渋谷労政事務所が会社の組合のものを呼んだが話にもなにもならなかったので、ここで話し合いのテーブルをつくることを断念したのである。

そこで裁判所の手続の中で話し合いのテーブルをつくるために仮処分の申立を行ったのである。

ここで初めて会社側との話し合いとなったのである。

そもそも上告人は組合の支援もなくたった一人である。このようなものがなんら第三者の仲介を受けずにただ一人で会社と話し合いをしようと試みても、対等の話し合いになるなどということは全くあり得ないことは経験則上明らかである。

しかもそれまでの経過を見ても、最初の内示の際の直属の上司は、一方的に異動命令に応じろの一点張りで話にもならず、本来組合員の味方であるはずの組合役員までが、上告人の事情を聞こうともせずただ異動命令に応じろの一点張りであったのであるからなおさらである。

この仮処分の手続の中で、上告人と会社担当者ならびに会社代理人弁護士との間で、仮処分裁判官を通じて話し合いがもたれたのであるが、会社はあくまでも八王子の異動命令に応じて通うことを前提でなければ和解には応じられないというかたくなな態度に終始したのである。

しかも原判決で認定している「事態の打開を図るため、控訴人との間で、勤務時間、保育問題等について十分に話し合い、できる限りの配慮をしたいと考えていた」という事実も、前述の通り第二子の妊娠がわかったのちぎりぎりの和解案として、子育て、妊娠中なので「遅刻、早退、欠勤に関しては、賃金カット以上の不利益は与えないこと」(甲第三一号証)との控えめな要求を出したが、それに対する会社の回答(ただしこれは上告人側には提示されなかった)は、「その他の労働条件および待遇については会社の規定通りとする」(乙第三五号証 柳原和子異動問題について 五項)とするだけであったので、明白に通勤について会社が「配慮」をする事を拒否したことは明白である。にもかかわらず会社が配慮をしようとしていたと認定した原判決は、理由不備、ならびに明らかに判決の結果に影響を及ぼす採証法則違反、経験則違反、審理不尽の法令違背が認められるのである。

3 しかもこの点に関する事実誤認は、第一審、原審を通じて、裁判官の上告人に対する抜きがたい偏見を意味しているのである。

なぜならばこの明らかに誤った事実を前提に、第一審裁判官は上告人に対し「原告は、この話し合いに積極的に応じようとせず、訴訟によって決着をはかる姿勢を堅持していたことを認めることができる。」と認定した(原審ではさすがにこの分は削除されてはいる)。

原審裁判官らにおいても、この明らかに誤った前提に対して、原審では第一審における認定事実とは異なる新たな事実関係を主張したにもかかわらず、これを一切無視して第一審の事実認定をそのまま引用して、「控訴人がこのような頑なな態度をとらずに、長男の保育問題の打開策を見出すために、被控訴人の担当者との話し合いに応じ」れば「保育問題を解決することができた余地があ」ると認定しているのも同様に原審裁判官らの上告人に対する偏見を証明するものとなっているのである。

七、仮に本件異動命令が転居を伴う異動を命じるものと解しうるばあい(この場合に限って以下のことが問題となる)上告人が転居可能であったか。

1 転勤不可能性についての上告人の主張

上告人は本件異動命令の内示の際、上司より転居について示唆され、その日の夜夫に確認したところ、夫からこの提案は拒否されたのである。

このような場合、上告人としては、これ以上なにもできない。

なぜならば、上告人の給与が手取りわずか月額一一万円余しかないのであるから、この給与をもって単身赴任をすることは全く不可能であることは明らかである(長男を一緒に連れて行っても行かなくても)。

したがって上告人が転居した上で八王子事業所に通うことができるのは、夫がこれに協してくれるときだけである。仮に夫に関係なしに転居その他のことを上告人が行えば当然に家庭は崩壊せざるをえないことは明らかである。

夫としても八王子に通勤を続けるならば妻である上告人には仕事を辞めてもらうほかないと考えていたのである(甲第一四号証)。

2 夫の状況

夫自身も転居に応じられるような状況でなかったことは原審最終準備書面五九頁以下に詳しく記載してあるとおりである。

原判決は、上告人の夫の不利益(夫の仕事の内容と通勤時間・疲労の増加)の事実摘示においてここでも重要な上告人の事実主張を脱漏させた。

それは、夫の当時の仕事の中で一般的な忙しさと明らかに異なる特徴的な忙しさを徴表する状況であったポケットベル部門における事実上の責任者であった事実である。

原判決は、原審における上告人の夫の勤務状況の新たな主張について、「控訴人の夫は、外資系の製造会社に勤務し、通信機器部門に携わり、『カスタマーエンジニアリング』という業務に従事している。その職種の内容な極めて多岐にわたる。多岐にわたる頭脳を集中させる業務を行うのに、控訴人の夫としては極端な疲労を伴う通勤に長時間をかけておれないことは明白である。」とのみ事実認定した(同判決五〜六丁)。

しかし上告人が主張しかつ立証した点は、当時夫が勤務していたモトローラという世界的な大企業が、日本におけるポケットベル事業展開において、丁度NTTの通信事業の独占が崩れ、新しい通信事業を行う会社が全国に次々に設立する中で、シェア獲得競争まっただ中にあったのである。このポケットベルの事業は、後に日米経済摩擦の重大議題の一つに取り上げられるくらいの会社の重大問題であったのである。このような状況のなかで上告人の夫は、技術面での知識を有する唯一の売り込み営業担当の事実上のたった一人の責任者としての忙しさであったのである。

したがってこれを表現するのに「引っ越しと言うこと自体を考えるゆとりさえもないくらいに忙しかった」と表現したのである。

しかるに原判決は、この点に関する上告人の事実主張を事実摘示から明白に脱漏させた上で判決を行った。

この点で原判決には理由不備ならびに明らかに判決に影響を及ぼす審理不尽の法令違背が存在するのである。

3 原判決の判断

転居に関しては原判決は、「夫婦が共に仕事を持ち、かつ、子が幼児である場合には、一般に妻により多くの負担がかかるであろうから、それによって通勤や勤務に支障が生ずる場合には、夫婦双方が協力し合って前向きに問題を解決するよう努力すべきは当然である。証人柳原正樹の証言により認め得る当時の控訴人の夫の職務内容、勤務状況に鑑みると、転居に伴ってある程度の不便・不利益の伴うことは否定し得ないが、これは転居に伴い通常甘受すべき程度のものであり、転居を妨げる客観的障害事由ということはできない。」と判示した(同判決一一丁)。

4、原判決の違法

上告人自身と家族にとっても、先のような夫の状況は、転居問題に時間を使うこと自身が、夫の勤務する会社の事業展開に重大な損害を与えるものであり、同時にそのことが今後の夫の会社における地位にも重大な悪影響を及ぼすという重大な不利益が存在していたことは、証拠によっても明らかで、事実摘示を脱漏させかつ全くの合理的理由を示さないで転居可能であると認定した原判決は、判決の結果に影響を及ぼす採証法則違反、経験則違反、理由不備、理由齟齬の法令違背が認められるのである。

八、転居に伴う夫の職業上の不利益つまり転居不可能性の本件に占める位置づけはどこにあるか。

夫にはいかなる意味においても会社に対する協力義務、甘受義務は存在しない。問題は、上告人の会社に対する協力義務の範囲として、夫に対し、いかなる程度までの協力要請をすべきかにつきるのである。

原判決は民法の夫婦協力義務を媒介として夫にも協力(甘受)義務があるかのようにいう。しかし会社の異動命令を動かし難い所与の前提として夫婦協力義務を説くのは誤りである。夫婦協力義務により達成されるべき円満な家庭生活・子どもの養育を脅かす本件異動命令自身の効力こそが問われるべき対象である。

原判決はこの点で二重の意味で法解釈の誤りを犯している。

夫婦協力義務をいうならば、上告人は夫の会社に対し、夫の職務を全うすべき義務を負っていることになり、転居を求めること自体ができないことになる。

そもそも夫については本件異動命令に協力する義務は認められない。妻の会社の異動命令に従う義務はないのである。

しかも妻に与えられた異動命令の中身は、妻がキャリアアップなど昇進等の可能性も全くない、異動先の仕事内容も誰でもできる単純作業に過ぎなかったのであるからなおさらである。

しかも前述のように夫の仕事は当時待ったなしの厳しい勤務が続いておりそれどころではなかったのである。このように原判決には、判決の結果に影響を及ぼす法令解釈の誤り、審理不尽の違法が存するのである。

九、夫が転居不可能であることは証拠によって明白である。

原判決の夫の転居に関して「ある程度の不便・不利益」との認定には、前述のように理由不備、理由齟齬、明らかに判決に影響を及ぼす採証法則違反、経験則違反の審理不尽の法令違背が認められるのである。

以上を綜合すれば、上告人は、本件異動命令により退職するか家庭が崩壊するかの不利益を受ける事実が明白に認められるのであり、このような不利益を受けることが「通常甘受すべき程度を著しく越える不利益」と認めるべきことは経験則上当然のことであり、したがって上告人はこの異動命令により「通常甘受すべき程度を著しく越える不利益」を負うと認められるのであり、原判決には東亜ペイント判決そのものに違反する判例違反の法令違背が認められるのである。

第六、上告理由第六点 第二子の妊娠

上告人の第二子の妊娠は、上告人に本件異動命令に従うことを一層困難にさせる事由であり、「異動命令後欠勤を続けたのは、本件人事異動を拒否していたことによるものであって、第二子を妊娠したことによるものではな」く、「無断欠勤の継続を正当化する事由となるものでもない」(原判決一五丁)とした原判決は、理由不備、理由齟齬の違法、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反、審理不尽の法令違背が認められるのである。

一、原判決は本件「異動命令後欠勤を続けたのは、…第二子を妊娠したことによるものではない」としている。

異動命令とは、実際に労働者が異動するまでは継続しているものであり、それを拒否できる事由の有無、内容にも変更がありうることは明らかであろう(存在から不存在へ、またその逆もありうるし、内容の変化もありうる)。かりに異動命令が発令時には有効であるとしても、その後異動前に、異動命令を拒否する「正当な理由」が新たに発生すれば、その時点でその異動命令は無効となることも当然である。

ところで、原判決は、上告人が異動命令に従わなかった理由と欠勤を続けた理由を区別しているようであるが、明らかな誤りである。

なぜなら、

①上告人には異動命令を拒否する正当な理由があったので、

②本件異動命令を拒否し、

③しかし、従来の職場で労働力の提供を行い、

④会社がその受領を拒否し、

それが「欠勤」という現象となったのである。

本件では、②、③、④については争いがなく、①の異動命令を拒否する正当な理由の有無が正に争点である。

裁判所が判断しなければならないのは、上告人が「本件異動命令に従わずに欠勤を続けた理由」であり、それは右①の理由の有無である。

原判決は、「本件異動命令後欠勤を続けたのは、本件人事異動を拒否していたことによるもの」だというのは同じことをくり返し言っているに過ぎず、何も語ってはいない。既に述べたように、異動命令を拒否したことは争いがない。もし、上告人に異動命令を拒否する正当な事由が存在すれば「欠勤」は正当化され、存在しなければ正当化されない。

それを判断しないで、原判決の論理を通すなら、上告人の労働力提供を会社が受領拒否したことこそが「欠勤」の直接の理由といわなければならないであろう。

裁判所が認定しなければならないことは、上告人側の本件人事異動を拒否する正当な事由(通勤不可能、転居不可能の具体的内容となる)の存否である。

本件ではその事由は、上告人の第二子の妊娠は判明したことにより、新たに一つ加わった。

原判決は、上告人の第二子妊娠を認定しながら、それが異動命令拒否の正当な事由か否かとの点については何の判断もしていない。すなわち、上告人が、第二子の妊娠を異動命令を拒否する「正当な理由」だと主張していることに対し、原判決は何の判断もしていないことになる。

したがって、そこには、明らかな理由齟齬、理由不備の違法、ならびに判決に影響を及ぼすことが明らかな判断の遺脱、審理不尽の違法が存在する。

二、また、上告人の第二子の妊娠は、上告人に本件異動命令に従うことを一層困難にさせる事由であり、原判決がそれを認定しなかったことは経験則に違反し、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背がある。

第二子の妊娠が判明した時点で、会社は、

①上告人が三歳の子を保育園に通わせていた、

②上告人の通勤時間が、異動命令に従った場合、片道約二時間かかること、を知りながら、本件異動命令を維持し続けていたのである。

さらに、そのような上告人に対して、会社は、

③何の配慮もしようとはしなかった。

なお、上告人は、

④家族での転居は不可能であり、

⑤従来の職場に関しては労働力の提供をし(会社は受領拒否)、

⑥本件異動命令の効力を裁判で争っていた、

という事実も忘れてはならない。

ただでさえ、長時間通勤は労働者にとって苦痛であり、問題であるのに(甲第三九号証、第四二号証)、上告人にはそれに三歳児の保育園通園、第二子妊娠という事実が加わり、会社は何の配慮もしないというのであるから、客観的に見て、上告人には、本件解雇処分時には、本件異動命令を拒否する正当な理由が存在したといえる。

原判決は、「第二子を妊娠したこと自体は無断欠勤の継続を正当化する事由となるものでもない」と何の理由もなく結論づけているが(理由不備)、問題は、上告人の第二子妊娠が、本件異動命令に従うことに何の影響も及ぼさないのか、ということである。

上告人の第二子妊娠が、本件異動命令に従うことを一層困難にする事由となることは常識であろう。労働基準法六四条の五は、妊娠中の女子について特別な扱いをすることを認めている。本件で、会社が上告人に求めた業務の内容自体は同条にいう「有害な業務」と呼べないかもしれないが、妊娠中の女子にとって長距離・長時間通勤は「有害」そのものであることは経験則上明らかである。

このことは、同法六六条二項が妊産婦の時間外労働、休日労働について制限を設けていることからも明らかである。通勤時間が長くなれば、労働時間が長くなるのと同様、妊婦の疲労は重なり、後期妊娠中毒症、貧血、低体重児出産などといった、母体・胎児への悪影響に結びつくことは明白である。

上告人が本件異動命令に従った場合、保育園への送迎をしなくとも、家を出るのが午前七時前、帰宅するのが午後七時三五分ころとなり、通勤時間及び職場での拘束時間の合計は、実に一二時間半を超えることになる。そもそも、労働者にとって、通勤時間および職場での拘束時間は一〇時間以内というのが健康で文化的生活といえるのである(甲第三九号証)。

したがって、上告人が第二子を妊娠したことを、本件異動命令に従うことを一層困難にする事由と認定しなかった原判決は、経験則に違反し、判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽の法令違背が存することとなる。

第七、上告理由第七点 法令解釈の誤り

原判決には法令解釈の誤り及び脱漏がある。

一、旧雇用機会均等法二八条一項

旧雇用機会均等法二八条一項について、原判決は、「女子を雇用している事業主に対し、女子従業員が退職しなくて済むように、育児休業その他の育児に関する便宜の供与をなすよう努力義務が課せられていたから、被控訴人においても同条項の趣旨に従い、女子従業員である控訴人に対し、その長男の保育につき、保育園等に預ける場合の勤務時間について配慮しなければならない。この点については、被控訴人は、前記のとおり、本件異動命令を発令するにあたり、控訴人との間で、通勤時間及び保育問題等につき話し合いの機会を持ってできる限りの配慮をしようと考えていたものであり、控訴人が本件異動命令に従って八王子事業所において就労した場合には、控訴人の長男の保育につき、保育園等に預ける場合の勤務時間(遅刻・早退の取扱いを含む。)に十分配慮する用意があったのであるから、被控訴人には同条項の違背はないというべきである。」と述べている(同判決一二丁)。

しかし、上告人に対して「長男の保育につき、保育園等に預ける場合の勤務時間(遅刻・早退の取り扱いを含む。)に十分に配慮する用意があった」事実は、明らかに誤りであることは、すでに述べたように上告人からの甲第三一号証の和解の提案として「遅刻・早退についての配慮」をあげているが、会社は乙第三五号証の回答の中で、これについて拒否回答をしたことで明らかであったことは、前記上告理由第五点の六項2において述べたとおりである。原判決はこのような明らかな誤りの事実を認定しているのである。この点は原判決における明らかに判決に影響を及ぼす事実誤認、採証法則違反であり、審理不尽の違法が認められひいては法令の解釈を誤っている。

旧雇用機会均等法第二八条一項においては「事業主は、その雇用する労働者について必要に応じ、育児休業の実施その他育児に関する便宜の供与を行うように努めなければならない。」と規定され、これに関する労働省の通達は、次のように規定している。

「『育児に関するその他の便宜の供与』とは、女子労働者が乳幼児を保育所等に預ける場合の勤務時間に関する配慮、母子保健法に規定する乳幼児に対する健康診査等を受ける場合の勤務時間に関する配慮、事業場内における授乳のための設備の設置等が含まれるものであること。」(昭和六一・三・二〇婦発第六八号、職発第一一二号、能発第五四号各都道府県婦人少年室長、各都道府県知事あて労働省婦人局長、労働省職業安定局長、労働省職業能力開発局長通達「雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律の施行について」労働省編労働法規総覧七巻二五三頁)

また、本条文を引き継いだ育児休業法一一条の指針では、「一、一歳から小学校就学の始期に達するまでの子のうち年齢の低い子を養育する労働者の方が一般的に当該子を養育するために当該措置の適用を受ける必要性が高いと考えられることに留意しつつ、労働者の子の養育をめぐる環境、労働者の勤務の状況等を総合的に勘案して、育児休業の制度又は法第一〇条に定める措置に準じた措置のうちより必要性の高い措置がより早期に講じられることが望ましいものであることに配慮すること。」とされており、一〇条に定める措置としては、「労働者の申出に基づく勤務時間の短縮その他労働者が就業しつつその子を養育することを容易にするための措置」が要求されているのである。

本件では先に述べたように会社は上告人に対し何の配慮をしようとした事実は全く認められないし、かつそもそも八王子事業所という往復で通勤時間が二時間も増加するようなところへ異動を発令すること自身が、子どもを保育所に預ける場合の勤務時間に関する配慮義務に違反するのである。

さらに旧雇用機会均等法二八条一項が育児休業法に引き継がれており、育児休業法では勤務時間の短縮が要求されていることからすれば、会社の態度は決して旧均等法二八条一項に適合するものでなく、原判決は法令の解釈を誤っているのである。

二、雇用機会均等法八条

しかも原判決は上告人の、均等法八条、民法九〇条に違反する旨の主張に対し何ら判断していない。

均等法八条は、女性労働者の配置・昇進について、事業主は男子労働者と均等な取扱いをするよう努力すべきことを定めている。そして配置については、労働者の指針において「婚姻したこと、一定年齢に達したこと、子を有していること等を理由として、女子労働者についてのみ不利益な配置転換をしないこと」と定められ、通達では「女子労働者についてのみ婚姻又は子を有していることを理由として、通勤不便な事業場に配置転換すること」とある。本件はまさしくこの指針に違反する。

右指針は均等法成立当時は、明確に規定されていなかったが、均等法施行後も既婚女性や子どもを持つ女性に対して、なお差別的取扱いがみられるため、一九九四年(平成六年)に新たに明確化したものである。九四年(平成六年)に明確化された指針とはいえ、それより以前にこのような違法行為が許されてよい筈はない。これは一九八五年(昭和六〇年)に成立し、翌八六年(昭和六一年)から施行をみた均等法の趣旨を徹底化したのである。

一九八八年(昭和六三年)五月、均等法施行以来二年間にわたる婦人少年室長の取り扱った事例を発表したが、その中には、五歳と一歳の子を有する女性労働者に対し、出張所転勤の打診があり、これを拒否した女性に対して解雇予告が出された事例がある。会社は、業績が低下し、合理化の必要のため、出張所に転勤を命じたと釈明した。婦人少年室は、幼い子どもを抱えた女性労働者にとっての配転は、均等法第八条の配置に関する趣旨に反すること、子があることを理由に女性社員を解雇することは均等法の趣旨に反するとして、改めるよう指導した。これにより会社は転勤命令及び解雇予告を撤回している。その他出産直後の女性に対する配転についても婦人少年室は「子があることを理由に配転することは、均等法八条の指針に反する」と指導し、改めさせている。

即ち、右指針が規定される以前から、本件のような配転については違法とされ、指導改善が行われていたのである。明文化されたのは均等法八条の趣旨を徹底化したものである。このように、均等法が成立、施行の後になされた本件会社の行為は、明らかに民法九〇条の公序に反し無効である。

また、均等法一条は、この法律の目的として、「この法律は、法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのっとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇が確保されることを促進するとともに、女子労働者について、職業能力の開発及び向上、再就職の援助並びに職業生活と家庭生活との調和を図る等の措置を推進し、もって女子労働者の福祉の増進と地位の向上を図ることを目的とする。」、第二条の基本理念では「女子労働者は経済及び社会の発展に寄与する者であり、かつ、家庭の一員として次代を担う者の成育について重要な役割を有する者であることにかんがみ、この法律の規定による女子労働者の福祉の増進は、女子労働者が母性を尊重されつつしかも性別により差別されることなくその能力を有効に発揮して充実した職業生活を営み、及び職業生活と家庭生活との調和を図ることができるようにすることを本旨とする。」と定めている。

これら雇用機会均等法一条、二条、とりわけ八条の法律の条文に照らしても違法という上告人の主張には、原判決において何一つ言及されていない。

よって原判決には法律の判断につき脱漏しており、判決に影響を及ぼすべき法令の違背が認められ審理不尽の違法が存在するのである。

第八 さいごに

これまで指摘したように、原審判決は、原審で上告人が争い主張したことをことごとく無視し、証拠もなしに一方的に認定し、それこそ強引に最高裁の東亜ペイント判決を唯一の頼りとして控訴を棄却した、およそ裁判の名に値しないものである。

しかも上告理由第二点でも指摘したように、本件は東亜ペイント判決において判断された事例からは、はるかに遠い事例であり、東亜ペイント判決を適用すること自身が許されないものであったのであり、控訴審判決はこの意味においてもおよそ許されないものである。

そもそも企業の論理が最優先であった時代ははるかに過ぎ、企業万能では許されない時代の中で、バブル景気が始まる直前になされた東亜ペイント判決における企業の論理が最優先されるような判断は、上告理由第一点において述べたように転換されてしかるべきであるが、少なくとも事案の内容としてその事例にははるかに及ばない本件においては判断の変更があってしかるべきである。

本件は敗訴判決がなされる度にかえってマスコミの注目を浴びるという事案である。原判決はその日のNHKの全国ニュースで放映され、かつフジテレビ系の昼間の家庭の主婦向け番組「ビッグトウデイ」でも特集が組まれ、この判決の通りであれば多数の女性労働者は、企業からこの論理をつかって排除されかねず大変な問題点を含んだ判決と指摘されているほどである。

そもそも雇用機会均等法ができ、女性労働者の雇用環境をより改善するための法律となるはずのものであるが、裁判所において、これが適用されるべき格好の事例である本件において適用がなされないならば、一体何のための法律か、その存在意義さえ問われ兼ねないものである。

仮にこれらの裁判を行った裁判官の思考の根底に、上告人が指摘している、上告人が中卒で一般事務をしているとの主張が、逆にそれではそのようなものが何で働き続ける必要があるのか、ここまで言われたら会社をやめて家庭に入ればいいではないかというまさに会社の苦情処理委員会で委員がほとんど一致したこの論理があるとしたら、恐ろしいことである。

まさに本件は第一審、原審と敗訴し最高裁まできてしまったものであるが、逆に本件は、ILO一五六号条約ならびに一六五号勧告を日本が批准したなかで、雇用機会均等法の解釈を含めて、東亜ペイント判決を判決した最高裁においてこそ裁判されるのが最もふさわしい事案であると思うものである。

女性労働者が子どもを産んでも働き続けたいというあたりまえの憲法で保障されている労働権が守られるためにも、最高裁においてこの事案について新たな判断を望むものである。

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